雑感備忘録

文化と雑感を書いたりします。

2019.02.21『ファースト・マン』鑑賞記

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デイミアン・チャゼル4作目の監督作、

主演は『ラ・ラ・ランド』でもタッグを組んだライアン・ゴズリングとくれば観ないわけにはいかない本作。

どうしてもIMAXで観たかったので、TOHOシネマズ新宿にて鑑賞してきました。

ど平日の昼間にも関わらずなかなかの席の埋まり具合で

日比谷なんてIMAXは1日1回だし、2D字幕はスクリーン3と、縮小早すぎるんじゃないの?と思ってしまった。

 

映画『ファースト・マン』公式サイト

 

ラ・ラ・ランド』の時にも感じた、自分の描きたいものへのこだわりの強さと

それを完璧に実行するチャゼルのドヤ顔(たぶんしてない)が今回も垣間見えるものだった。

好きだよチャゼル。お前も85年生まれの星。

 

デイミアン・チャゼル - Wikipedia

 

フィルム撮影へのこだわりでも有名だけど、

今回はシーンによって16mm、35mmを使い分け、宇宙のシーンではIMAXを採用と、

それだけでとんでもない予算がかかっているだろうことは想像に難くない。

だからこそIMAXで観たかったんです。

宇宙船周りの絵については主観のショットが多く、

閉所恐怖症の人だとちょっと参ってしまうのではないか(でもそれは当時の人が実際に体験していたものなのだけど)と思えてしまうほど

堪え難い窮屈感を体感できます。

しかも大概の宇宙ものって、宇宙をもったいぶることなくばーんと見せるけど、

月に行くまではほとんど見られない。

宇宙船の窓から「母船がそろそろ見えてもいい頃」というセリフから感じる、いよいよか!という期待感。

逆に緊迫した画面では垣間見える外の景色を見たくないから、窓を手で遮る。

当然ニールたちの主観だからこそなのだけど、だからこそ没入できる。 

 

絵もさることながら、音の演出も音楽経験者らしく饒舌です。

過去2作は何より音楽がテーマの作品だったけど、

今回は宇宙に行くまで、行った時の音も静と動を繰り返すもので

観ているものにリアルな体験をもたらす。

特に60年代のメカ感のある宇宙船のきしむ音や、たぶん何かが漏れてるんだろうなというエアー音などが

あぁやめたほうが良さそう…死ぬんじゃ…と思わせる。

今回も楽曲担当しているジャスティン・ハーウィッツのオリジナルトラックも良かった。

感情的なシークエンスのバックで流れる曲ではテルミンを多用していて、

物悲しさを後ろで支えて感情に寄り添うようでした。

 

 

First Man -Digi/Bonus Tr-

First Man -Digi/Bonus Tr-

 

 

 

このようにして絵と音で作られる緩急によって得られる没入感。

轟音と静寂。

窮屈と宇宙の広がり。

本当に突破するまでは窓からしか見えない宇宙。

宇宙については何の知識もない私がこれだけ興奮し語ることができるのだから、

宇宙モノとしては合格点間違いないのでしょう。

 

しかし以上のことは、チャゼルとしては当たり前に描写されるべき映画における空間であって、

高みを目指さざるを得なかった、寡黙なニール・アームストロングというひとりの男性の物語を現代にドロップする

ということがやはり大前提にあるのだな、と終始感じられるものだった。

そもそもこれまでと違って、今回は脚本を『スポットライト』や『ペンタゴンペーパーズ』など、実録物の名手であるジョシュ・シンガーが担当していて

大変丁寧で、人物描写も巧みだなと感じたのはそのおかげだったよう。

 

ジョシュ・シンガー - Wikipedia

 

この話に一貫して介在するのは、人の死、特に娘の死です。

娘の死を乗り越えるために月に行くことを決心するし、

ニールが月を眺めたり、訓練で意識が遠のいたり、月に向かう時に思い浮かべるのは

幼くして亡くなった娘の甘やかな髪を撫でる感覚や、

その小さな体を抱き上げていた風景。

周囲のたくさんの仲間を失っても泣かなかった男が、

娘のことでは二度泣くのです。

彼女が死んだ時。

そして月へ降り立った時に彼女を思い出した時。

書き連ねてるだけでも泣けちゃう。


月に行くという目的達成までを描く時間軸の中で、

地上から眺める月というのが象徴的に切り取られるのが印象的でした。

誰かといた時と、その誰かがいなくなった時に、

昼夜問わずそこにある月。

今ここに生きる自分と、手が届かなくなった相手との距離感のメタファーとして、月はそこに在り続ける。

最終的に〝物理的に〟月に到達したことで、死者との邂逅を果たしたようにも見えるクライマックス。

そこでニールが行うひとつの行動が、月に降り立ったことよりも、星条旗を月に降ろすことよりも、大きな感動をもたらす。

それまでの主観体験も相まって、胸がとってもあつくなる瞬間でした。

(月到達という偉業をこんなミクロの視点で描くなんて、という声もあるようだけど、

いいじゃんチャゼルだもん。そもそもニール・アームストロングの伝記が原作なんだしさ!)

 

でも悲しいことに、月へ近付くたびに、周りの人間、特に妻のジャネットとは離れていってしまう。

偉業を成し遂げることにつきまとう代償。

月に行くことが決まったのに息子たちに何の説明もしない夫にジャネットがブチキレる、というシーンがあって、わぁ大爆発してしもた…と思うんだけど、

あれアドリブで撮影したそうですよ。(パンフレット内クレア・フォイのインタビューより)

素晴らしい緊迫感。

 

月に行ったことで、ニール自身はなにかを乗り越えたけれど、妻との関係は引き戻せるか否かというラインに到達している、

ということを象徴的に表しているのが、あのエンディングだなと思いました。

最大の感動のあとに、最後に現実の苦味をもたらすというのも

チャゼル演出だなぁという感じで私は好きでした。

チャゼル好きだよ。(2回目)


犠牲と悲しみを引き連れて、それらを強さにして前へ進み、生きること。

人生のひとつの面を丁寧に描いた映画だと感じました。

じわじわと感動するタイプ。

 

じわじわと感動していたところ、

あれ、

 

 

 

このテーマって、

 

 

 

 

Base Ball Bearっていうバンドが最近リリースした『ポラリス 』っていうEPの

リード曲「Flame」と一緒なんでは????

最高か?????

 

という仮説が浮かび上がりましたことを報告して終了したいと思います。

 

 

ポラリス

ポラリス